国家って?

あまり政治的な事や国家がどうのとかわかりませんが、流石にちょっとウクライナの事が気になってしまう日々です。
今日、元維新の会の橋本さんが朝のテレビでウクライナの人たちは頑張っているけど、結局頑張るほど人は死んでいくというようなことを言ってました。
ですので、逃げていいのではないかと。それでプーチンは70歳くらいなのであと生きても20年くらいだろうからその後で自分達の良い環境を再構築してもいいのではと。
確かに私もテレビやネットでウクライナとロシアの紛争を見ると、本当に悲しくなります。多くの人たちが戦っています。街もミサイルなどで破壊されてます。
以前湾岸戦争をテレビで見た時以上に衝撃を受けてます。
女性も武器を取って戦っていると報道されてました。
戦争で人を殺すことはしかたないと割り切って戦っているのでしょうが、ミクロで見れば単なる人殺しと何が違うのかと、やはり疑問に思います。
確かに橋本さんがいうように戦って命を落とすのは良くないとも思いました。でも戦わないと国が無くなってしまうと危機感を持っているからそれでも戦って命を落としていく人が絶えないのだという人もいました。
それもまたわかる気がします。
どこの国の人も結局は安心してできるだけ豊かに暮らしたいと思っているだけなのではないかと、一見平和なこの国で暮らしている私は考えてました。
でも、その暮らしを手に入れて、守り続けることはそう簡単ではないのが世界の常識なのかもしれないと今回の件を見ていて思いました。
「国のために命をかける」という考えは私には全くありませんでしたし、おそらく今もないと思います。
でもそれは今が少なからず安心して暮らしていけると信じているからなのかもしれません。そのベースにあるのが日本という国で生まれた時から民主主義の価値観の世界で生きてきたからなのかもしれないなぁと最近思います。
もしある時、この国がどこかに占拠され、明日から見たいネットの記事も見られません、とか自由に発言できません、みたいなことになったとしたら、我慢できるかなとも考えたりしました。
そうなると、国という単位で世の中が成り立っているんだなと改めて感じます。
最後は個人の問題だと思っていましたが、その個人が個人でいられるためには国という単位でその個人がある程度保証される環境が必要不可欠になるのかもしれません。
それを奪われそうになっているということであれば、また一度奪われたら回復は難しいと思ってしまったら、人は立ち上がって立ち向かおうとするのかもしれません。
ましてや思い当たる悪いことをしたわけでもなく、一方的な理由だと感じてしまったら。
それでも人が死んでいく事実は見たくありませんし、自分がその立場になった時に戦えるかわかりません。
子供や家族をその中に置いておくのも無理だと思います。
私たちは先の戦争で負けて、戦前の価値観を思いっきり壊されました。そして世界に歯向かう気力や手段を持たないように教育をしてきたと思います。私の年代はその中で育ってきました。
戦争は何があっても絶対にやってはいけないものと教えられ、おじいちゃんやおばあちゃんからは体験者としての悲惨な思いや体験を聞きました。
私個人としては小学校の頃、愛国心という言葉を知った時にとても違和感を持ったことを覚えています。
まさに今の橋本さんと同じように、「なんで国のために命をかける必要があるのだろう」と。死んでしまっては元も子もないではないか、と思った記憶があります。
生きていけるのなら別に日本という名前がなくてもいいのではないかとさえ思った気がします。
これはおそらく教員による影響は大きいのではないかと思います。「愛国心」自体が本当に必要なもので、それをしっかりと醸成していくべきものかどうかわ今でも正直わかりません。
でも、最近は先に書いたように、「国」が単位で世界が成り立っている以上は自分の所属している国の状況には無関心ではいられないと思います。
一方で、今回の西側諸国による経済制裁について、中国の国民は結構反発し、ロシアに同情しているというような記事もみました。
もしそれが本当なら、国連でほとんどの国が避難しているような状況でも、中国の一定数の人は西側諸国を非難していることになりますよね。
これも中国での教育による異なる価値観の形成によるものですかね。
このように価値観の折り合いがつかない国同士が今回のように一方が不安に思った瞬間に世界は不安定になるのだなと感じました。
そしてこれはある意味人間の生存本能によるところもあるのではないかと思います。
ロシアはヨーロッパが東への侵攻してくるのを心配して今回の事件を起こしたというようなことを書いている記事がありました。それだけではなく、プーチンはソ連の時の領土を回復したいという願望があるための信仰だという記事もありました。
いずれにしても自分達の立場を盤石にして、安心して豊かになりたいという本能的な思いが根底にある気がします。
まぁ、今回の件は勝手な思い込みとか、強欲なものを感じざるを得ないところがありますけど。
人々は共通の脅威・敵が現れないとおそらく一致団結できないのでしょう。それこそ宇宙人が攻めて来れば国同士で争っている場合ではないということになりそうです。
そう考えると、価値観の共有がうまくできない国がそれぞれ存在する中で、揉め事を起こさずに暮らしていくためにはどうすれば良いのかなと本気で考えないといけないですね。
しかも中には人道的・常識的な感覚からしてもあり得ないというような行動をする人たちもいるわけです。
その非人道的な行為も当事者にすれば正当化され、人殺しも手段になる恐ろしさです。
このような世界でどうしたら安心してできるだけ豊かに暮らせるようになるのでしょう。
街で無差別に包丁を振り回して暴れている人がいる場合、まずは近づかないようにすると思います。そして警察という権力に頼り、力により取り押さえてもらうでしょう。
その捕まった犯人は仮に人を3人以上殺していたらおそらく日本では死刑でしょう。
法律により処罰されます。取り返しがつかない罪を犯した理由と再発しないようにするための手段だと思います。
それを国同士に当てはめてみると(そう簡単に当てはまらないと思いますが)、例えば今回の件ではロシアに近づかないようにしよう。とまずはなりそうです。
でも近づかないようにしたくても逃げ場がないので無理そうです。そうすると瞬時には自力でなんとか致命傷を負わないように防御するしかないですね。そのためには手が届くところにある何か武器にあるものを探して防戦するしかないのではないかと思います。
その後、もし少し逃げる余裕ができてたら、警察に連絡するように国際社会の権力(国力?武力?)に助けを求めるしかないのではないかと思いました。
しかしここで難しいのは誰が正義の味方かということですね。そもそも価値観が違っているので、正義も異なるのでしょうから。
そう考えるとやはりお互いに相手にすると自分がやばいことになりそうだ、いう強迫観念にうったいかけて、行動を自制してもらうようにするしかないのではないか、そんな風に思ってしまいます。
それだから核抑止力の話が出てくるのでしょう。
核兵器は使ったらみんなが終わってしまうとなんとなく思っているから、実際には使われないだろうとは思いつつ、でももしとち狂って使われたら敵わないから、相手にしないでおこう、というロジックで抑止しているわけですよね。
脅しの原理です。
全くいけてない感じがします。
でも実際に核兵器は広島・長崎以外では使われたことがないですし、それゆえにみんな恐れているのだと思います。それが攻め込む際の躊躇いになっているのはある程度立証されている気がします。
そのため、防衛のために核兵器をなんらかの形で担ぎ上げることに関してみんなで考えても良いのではないかと今回思いました。
非核三原則があるということもわかりますし、忌まわしいものだということもわかります。
でも国という単位がどうしても重要なこの世の中で、その国という単位を自分たちでハンドリング可能に保つためには何をしておけば良いか、ということを真面目に考えた結果、現時点では止むを得ないというなら、躊躇わずに準備すべきではないかと思ってしまいました。
この期に憲法9条も改正すべきだという意見もあるでしょう。私個人の意見としては9条があろうとなかろうと防衛のための手段を進めておくことはなんら躊躇う必要はないのではないかと思います。9条も防衛のための準備は認めていると思います。
憲法は今回のこととは別に改正すべきかどうかを議論すべきでしょう。私は改正したほうが良いと思いますが。
よく、この手の話をすると、右だとか左だとかの議論になりますが、この2つに分けて語るのはあまり意味がないと思っています。
そもそもその定義も曖昧な気がしますし、そんなにスパッと2つに分かれるものではない気がします。
右よりが保守で左よりが革新とか言われますが、では保守とはどういうことでしょう。なんとなく世間的には私の考え方は保守に分類されるのかもしれませんが、別に天皇制とか靖国神社とか、日本の国を愛する度合いとかそのようなことにはそんなに思い入れがあるわけではないです。
天皇も一人の人間としてお互いに幸せに暮らせればそれで良いと思っていますし、靖国神社には行ったこともありません。
むしろ、古い習慣や考えにとらわれず、新しい仕組みを導入したほうが良いと思うこともいっぱいあります。
左寄りというのがいまいち理解できませんが、「革新」という言葉の響きからするとなんとなく革新的な考えも持っている気がします。
なんとなくですが、この手の話をタブー視する雰囲気も日本人らしいというか、あまり波風立てずに空気を読んで場を大切にするという日本人の特性が活発は議論を阻害している気がして残念に思っています。
いづれにしても、歳をとったせいか今回のウクライナの件で改めて「国家とは何?」と考えてしまうことになりました。
そして個人の命と国家の存在意義というものをどう考えれば良いのか、正直とても戸惑っています。
テレビでウクライナの人たちの映像を見ると涙が出てきました。
このようなことが今後起こらないようにするためにはどうすれば良いのか。そのために個人は何をすべきなのか。
自分達の事をどの程度優先していいのか。他国のことをどの程度考える必要があるのか。それらを真面目に考えたほうが良い気がしました。
本当は核兵器などに頼らなくても相手が思いとどまる仕組みがあれば良いのですけどね。
実は私はその究極は「バリアー」ではないかと考えてます。「バリアー」とはよく戦隊モノとかで出てきた無敵の防御システムです。
どんな攻撃も弾き返すことができる壁のようなものがもし作り出せたら。
相手がミサイル撃ってきても、サイバー攻撃してきても「バリアー」によって守られる。そんな仕組みを持っていればどこの国も、「あそこは攻めても意味ないし」となりませんかね。
攻めるだけお金と手間がかかるだけだと。
核兵器が恐れられているは、その威力が凄まじく、攻撃を受けたら壊滅するからでしょう。
もし「バリアー」によって攻撃が全て無効化できたなら、もはや核兵器すら持っていても仕方がないとならないでしょうか。
そんな夢のような技術を誰か真剣に研究しませんか。