就職活動2

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以前書きましたが、娘が大学4年生なので、現在絶賛就活中です。

まだ決まってません。

去年末くらいに娘が本格的に就活を始める前、私に彼女が言っていたことが、「お金よりもやりたいことをやりがいもってできるところに入りたい」という言葉でした。

娘が希望しているのはエンタメ業界です。

エンタメ業界がやりがいがあるのかどうかは私にはピンときませんが、本人がそう思うのであればぜひその分野で働ければ良いなぁと親としては思っています。

エンタメ業界の年収がどの程度なのか知りませんでしたが、最近娘が「初任給が18万円くらいってどうなの?少な過ぎない?」と聞いてきました。

大学卒業して18万円くらいであれば、なんとなくそんな感じじゃないのかなと思って「そんなもんじゃないの」と答えましたが、本人は「これじゃ、アパート借りて生活していけないんじゃないの? ありえん」というようなことを言ってました。

「みんなそんなもんから始めるんだよ、嫌なら当面家から通えば」

と普通の親のような会話が続きました。

就活を始める前には、「お金よりもやりがい」と言っていたクセに、いざ現実が近づいてくると打算的になるのだな、とも思いましたが、それだけ自分の生活を少し真剣に考え始めたのかもしれないと思い直し、「よしよし」と考えたりしました。

まぁ、このプログの副題にも「失われた30年」というキーワードを書いているので、これを機会にネットでまたまた過去の収入について調べてみました。

それによると、結構新鮮な驚きがありましたので、それについて書きます。

私が生まれた昭和41年(1966年)の日本のサラリーマンの平均年収が486,500円、私が新卒でキヤノンに就職した1990年の平均年収が4,384,000円、2012年の平均年収が4,733,600円という記事を見つけました。

また異なるソースですが、2019年には436,4000円というものもありました。

これがある程度事実だとすると、実に私が生まれた頃から私が就職するまでの約20年くらいの間に年収が10倍程度になっていたことになります。

それで、その後の20年くらいでほぼ増えていないということになります。

これをみてもいかにこの30年間が停滞していたかがわかりますが、驚いたのは私が生まれたころは年収が100万円にも全然及ばない金額だったのか、ということです。

私は、ラッキーなことに、生まれてから小学生、中学生、高校、大学と何も不自由なく普通に過ごしてきて、お金持ちとは思いませんでしたが、生活に困ることもなく、今に至っていると思っています。

そこは親への感謝ですが、周りを見ていてもそのような「普通」の人たちが溢れていたと思っていたので、そんなにお金が少なかったなんて思いもしませんでした。

もちろん物価や生活に必要なコストも今よりは全然抑えられていたのでしょうが、10倍も規模が大きくなったなんて実感はありません。

「これが高度経済成長なのか!」と改めて思いました。

これを見て思ったのですが、世帯年収の絶対値と生活の水準はそれだけでは全く推量れないものなのだということですが、同時に社会環境や生活容態の変化も含めて考えないと生活の大変さと収入との関係は語れないのだろうな、ということです。

私が学生だった頃は携帯電話もありませんでしたしインターネットもありませんでしたので、今うちの家計で結構な出費となっている携帯代とネット代は1990年くらいの時期はありませんでした。

うちの場合ですが、この2つで家族全員を考えると、ざっと3万円弱くらい払ってます。

これだけでも年間で36万円はかかりますのでそれなりに大変です。

他にも動画のサブスクやらなんやらで月1万円程度は払ってます。

このように、私が就職した頃と比べてみても、社会環境や生活容態の変化に伴って増えた新しい費用がそれなりに出てきてるのですね。

でも、先に書いたようにもし本当に年収がこの30年でほとんどあがってないとしたら、それだけで年間50万くらいは生活するだけで余分にお金がかかるということになります。

50万もあれば、家族で旅行に行けますね。

月に割ると月4万円超です。

そう考えると、娘が「この程度では暮らせない」という不安に対して、ただ「なんとかやるんだよ」と言えない気もしてきます。

私が就職した頃はもっと楽に生活できたかもしれないからです。

これは若者にとってとても深刻な問題かもしれないと思いました。

もう一つ気になった事は、私が感じる感覚では、あっという間であった私が生まれてから就職するまでの期間に、世帯年収が10倍近く増大していたのに、それが当たり前のように感じていたことに対する不感症気味の感覚についてです。

おそらく世界的にも歴史的にも世帯年収が20年で10倍くらいになったというのはそれなりに珍しいことのように思うし、特殊な状況だったのかもしれません。

それは先代の方達の思いや努力によるところも大きかったのだと思いますが、それだけではなく偶然やタイミングなどの環境からくるラッキーなことも重なったのではないかと今は思います。

そして、それを当たり前のように感じて生活してきた世代(私のような世代)が今の時代の担い手となって久しい現在において、果たしてきちんと考えて色々なことをしてきたのか?という反省がやはり大きくなります、

おそらく個人的な活動だけではなく、企業もこの30年間の間、その前の時代の軌跡の時代を「当たり前」と思って色々と判断していたりしたのではないかと思ってしましました。

それが今の低成長、低生産性と言われる現状を招いてしまった結構な要因な気がします。

やはり、慢心した時に危機は訪れるんですよ。

これを改善するには、当たり前ですが現状を見直し、今までの当たり前を一回疑ってかかりながら評価する。

それをそれぞれの人が日常の業務や作業、行動において地道に行っていく。

それらの考察を体系立てて分析・共有して課題や問題点に根本的な対応をしていく勇気と努力を示していくことだと思います。

「現状維持」という慣性力から加速度を感じながら離脱していくぞ!という意識がもっと世の中に満ちていかないかなぁと思っています。

33taka77
  • 33taka77

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